皆さんのクレオパトラのイメージ像はどんなものでしょうか。
楊貴妃、小野小町と並ぶ世界三大美人の一人として貌 を持つ女性でしょうか。幾多の男を魅了し、篭絡してきた魔性の女性? それとも齢17歳でエジプトの女王となり、政治と戦争に翻弄された可哀想な女性と言う印象でしょうか。
敵対関係にあったローマ人たちが残した彼女の記録は、曰く、魔女であり、淫蕩であり不道徳。驕慢にして残忍であり、ローマの英雄を二人も篭絡したエジプトの妖婦であるとされています。
それでは、実際彼女はどのような人物だったのでしょうか。 本記事では、『プリンセス』(稲葉義明/F.E.A.R. 著)を参考に、クレオパトラの恋と生涯と共に、いかに美しい女性だったのかをご紹介します。
目次
エジプト女王クレオパトラの生誕と即位
クレオパトラは紀元前69年の暮れ、プトレマイオス朝の王女として世に生を受けました。 クレオパトラという名は、「父の栄光」という意味で、王家が女子の名として慣習的に使用した名前でした。彼女はクレオパトラ7世にあたります。王宮を置いていたアレクサンドリアは世界最大の国際都市として当時栄えていました。また、学芸の都でもあり、彼女が7ヵ国語を巧みに操る才女だったのは、このアレクサンドリアで育ったことと無縁ではないでしょう。
王である父が没すると、プトレマイオス朝の王座は、17歳のクレオパトラと 10歳の弟であるプトレマイオス13世が結婚して継ぐことになりました。
クレオパトラは、国の飾り物になる気は毛頭ありませんでした。齢17にして彼女は、自分なりの統治のビジョンを暖めていたのです。
しかし、10歳で政治も分からぬ13世を担ぎ、思いのままに彼を操ろうとしていた宰相や王の扶育官にとって、彼女の才能と行動力は、面白いものではありませんでした。
クレオパトラは即位後、意欲的に政治を行うことを試みましたが、飢餓などの災害だけでなく、13世の派閥から謀略の牙を向けられ、厳しい状況での統治を行っていました。
クレオパトラは、弟であり夫でもある13世とは常に戦っており、恋とは無縁の関係だったのです。
クレオパトラが愛した二人の男
クレオパトラを助けることになったのは、 ローマの政治家ユリウス・カエサルでした。カエサルはローマの政治的な戦いでポンペイウスと激突します。敗北したポンペイウスが亡命先に選んだのはエジプトでしたが、13世派に暗殺されてしまいます。ポンペイウスを追撃するカエサルは、そのままアレクサンドリアへと赴きます。13世派が行ったポンペイウスの暗殺(彼を助けると見せかけて殺した裏切り行為)を快く思わなかったのか、ローマの執政官として王位を巡るエジプトの内紛を調整すると宣言します。
カエサルはアレクサンドリアに、対決中であったプトレマイオス13世とクレオパトラを呼び出しましたが、当時アレクサンドリアを離れ、13世の軍と戦っていたクレオパトラにとってアレクサンドリアに向かうことは困難なことでした。
そこで、彼女は誰も想像が出来なかった驚きの行動に出ます。
側近に絨毯を運ばせ、自分はそれにくるまった状態で王宮に潜入をしたのです。広げられた豪奢な絨毯の中から、絨毯の模様よりも美しく若い女王が現れる――その時のカエサルの驚きは、想像に余ります。
クレオパトラの機知に感心したカエサルは、すぐに13世を呼び出し、共同でエジプトを治めるように通達しました。
53歳の老雄カエサルは、クレオパトラの機知と魅力に、権力の頂点を目前にして心惹かれます。21歳のクレオパトラもまた、政治的な打算を越えて、彼を尊敬し、愛しました。
カエサルの助言と協力を得て、彼女は再び王座につき、エジプトの権力の頂点に返り咲きました。 エジプトの歴史と文化に触れたカエサルは、クレオパトラにローマ・エジプト帝国を建設する壮大な夢を語りました。クレオパトラはそれに賛同し、カエサルと共に実現を誓います。
彼はその野望を完成させるため、ローマへの帰途につきます。エジプトに残ったクレオパトラのお腹には、彼の子であるカエサリオンが宿っていました。
カエサルはエジプトを離れた後も破竹の活躍を続けましたが、二人の薔薇色の快進撃はそう長く続きません。
前44年3月15日。誰もが知っている「ブルトゥス、お前もか」の言葉と共に、カエサルは暗殺者たちの手によって非業の最期を遂げてしまいます。 それは、カエサルの夢だけではなく、クレオパトラの初めての恋と彼と語った夢が消えた瞬間でした。
クレオパトラは、最愛の夫を失いながらも、エジプトと息子を守るために奮闘します。
彼女の二度目の恋は、エジプトを掌握しながら、壮絶なローマの内紛を静観し、慎重に同盟相手を見定めていた時でした。 主導権争いから頭角を現したのは、将軍マルクス・アントニウスです。クレオパトラはエジプトと愛息カエサリオン、そして亡き夫の夢のために強力な後ろ盾を欲しており、ローマの掌握を望むアントニウスは、エジプトの富と力を必要としていました。
クレオパトラは、彼を豪華絢爛たる女王船へと招き、盛大に持て成しました。そのもてなし方は、将軍がエジプトの富と財、そして女王の美と才知に度肝を抜かれ、返礼として自らも宴を開こうとしましたが、失敗をするほどでした。
この失敗を笑い話に出来る気さくさと度胸を揃えていたアントニウスの気性を、クレオパトラは気に入り、すぐに二人は親密な関係になりました。
クレオパトラが正妻の座を掴んだのは、アントニウスが政略結婚をしてしまい、愛人という関係に留められながらも忍耐強く待った3年後のことでした。
クレオパトラとアントニウスは互いに愛情に応え、支援に乗り出します。念願の帝国建設も目前でしたが、彼女はローマの権益をベッドで寝取る危険な悪女とみなされ、 同時にアントニウスも、本国で人望を失ってしまいました。
当時、アントニウスと主導権争いをしていたオクタヴィアヌスは、ローマの主導権を握り、クレオパトラを悪女として、エジプトに宣戦を布告しました。
オクタヴィアヌスとアントニウスの戦い、「アクティウムの海戦」はアントニウスとクレオパトラが戦場から離脱し、降伏したことで 、終結します。
勝者であるオクタヴィアヌスは、クレオパトラにだけ、アントニウスを殺すか追放すれば全ての願いをかなえようと言いました。
しかし、たとえ自分が死ぬと分かっていても、彼女はアントニウスを共に散る方を選んだのです。 エジプトの女王であり、夢を追い続ける野心家であるクレオパトラは、それと同時に、愛した男に全てを捧げる人でもあったのです。
恋と国に命を燃やした女性クレオパトラ
アントニウスの死を見届けた後、クレオパトラは果物籠の中に隠して差し入れられた毒蛇にその身を噛ませ、自害して果てます。クレオパトラの美貌 は、それ程並外れたものではないと記録されています。彼女の機知に富んだ会話や行動の端々に示される高い教養と知性など、接して分かるカリスマ性こそが、男達が魅了された彼女の本当の美しさでした。
彼女の美しさに魅了されていたのは、当時のエジプトだけではありません。勿論、ローマの英雄達だけでもありません。
他国の男を誑かし、篭絡した魔性の女の評価があったとしても、クレオパトラは現代でもエジプトで敬愛され続けています。
彼女の魂は、エジプトの女王としての自覚と誇りに満ちていました。生涯を通して女王の座にこだわり、国の繁栄に熱意を燃やした精神が、今でも愛されているのです。
本書で紹介している明日使える知識
- アナスタシア
- 千姫
- マリー・アントワネット
- かぐや姫
- サロメ
- etc...
ライターからひとこと
今日でも女性の芯の強さは評価されることが多いですが、彼女はまさにそれを行動で表していた偉人だと思います。快楽で男を篭絡し、国と政治を翻弄させた妖婦ではなく、恋と夢、そして政治を全うした貞淑な一人の女性として紹介したクレオパトラは、皆さんの目にどう映りましたか?
政治面や残した伝説だけではなく、皆さんが尊敬している偉人の内面を調べてみると、意外な一面を見ることができるかもしれませんよ。