書き手:朱鷺田祐介
本連載は、クトゥルフ神話に関するあれやこれやを折りに触れて紹介していくコラムです。クトゥルフ神話に関しては原作小説、あるいは、拙著『クトゥルフ神話ガイドブック』や『クトゥルフ神話超入門』をご参照ください。
「クトゥルフの呼び声」という作品がある。
H・P・ラヴクラフトの代表作であり、海底に封印された邪神クトゥルフの覚醒によって引き起こされる全世界的なおぞましき出来事を描くもので、実に印象的だ。
この作品は、大正12年(1923年)に起こった関東大震災のニュースが影響を与えたとされるが、もともと、ラヴクラフトが短編『ダゴン』で描いた海の邪神の恐怖をベースには、世界規模の破滅をもたらすかもしれない要素をぎゅっと凝縮して詰め込んだものである。そこには実に多彩な要素が盛り込まれている。第一部「粘土板にきざまれた恐怖」では地震の夜からおかしくなった若い芸術家が学者を訪ねることで、一見、妄想や狂気に過ぎないと思われるおぞましい真実のかけらがほのめかされ、第二部「ルグラース警部の話」では、ニューオーリンズの湿地帯で開かれたヴードゥー教らしき異端宗派の取締から、世界の深淵に生き続ける邪神信仰の存在が語られる。この時期はヴードゥー教に関する本が書かれ始めた時期で、実にホットな話題であったし、続く、人類以前の超古代文明に関しても、超古代文明ムーの存在がチャーチワードによって語られていた時代でもあった。ムー大陸とチャーチワードに関しては、拙著『超古代文明』で詳しく解説しているので、そちらをご参照いただきたい。
このように、ラヴクラフトの「クトゥルフの呼び声」は、時代の趨勢を大きく反映した刺激的なホラー作品であったのである。
以前の『ダゴン』も、第一次世界大戦の関係で漂流することになあった青年が遭遇した恐怖の物語であり、『クトゥルフの呼び声』の第三部『海にひそむ狂気』はまさに『ダゴン』の発展系というべき筋立てであるが、第一部、第二部で語られた物語によって意味付けが変わり、その恐怖が強調されている。
■ラヴクラフトの好んだ箱物語構造
「クトゥルフの呼び声」をもう少し分析してみよう。ラヴクラフトが好んだ擬古調の単語選択の実体はなかなか翻訳文では分かりにくいが、それでも、一般に見ない表現が多いのはわかっていただけると思う。これは、彼がアメリカの中でも、英国よりの気風を持つニュー・イングランド地方に生まれ、幼い頃からの読書でも、英国文学を愛した結果であり、特に、ロード・ダンセイニの影響を受けて自分なりに英国風を目指した結果である。
私(朱鷺田)として、注目したのは、『ダゴン』と『クトゥルフの呼び声』に共通する箱物語というプロット構造である。
『クトゥルフの呼び声』の場合、まず、物語の冒頭には「ボストンの故フランシス・ウェイランド・サーストンの遺した書類の中に見つけだされた手記」と書かれている。あまりにあっさりしていて、続くアルジャーノン・ブラックウッドからの引用の玄妙さ、はたまた既に引用した冒頭の名台詞に圧倒される内に、脳裏から飛び去ってしまいがちなことであるが、この物語そのものがすでに死者となった人物からの遺言なのである。物語に書かれた恐怖により、語り手である「わたし」はすでに死んでいるのだ。
これは、『ダゴン』で、「わたし」の書き残した遺書とも日記とも言えない落書きを再録したことから生まれた恐怖をさらに発展させたものである。
ラヴクラフトのクトゥルフ神話作品ではこうした多重構造が好んで使われる。客観描写ではなく、被害者が書き残した手記を読むという形で、我々読者はその恐怖をさらに身近に体感できるのである。
■あとがき
まず、クトゥルフ神話の原点というべきラヴクラフト作品「クトゥルフの呼び声」を語ってみた。次回は、同じくラヴクラフトの神話作品として名高い「ダンウィッチの怪」を巡る怪獣映画論か、そろそろ「蜂蜜酒(ミード)」の話などをしようかねえと考えております。こんなものを読みたいというご意見、ご希望があれば、編集部まで。
■追伸
ここ数年、『図解クトゥルフ神話』などの書籍執筆、『H・P・ラヴクラフト大事典』などの翻訳で大活躍中の森瀬繚さんと一緒に、ラヴクラフトの誕生日(8月20日=ラヴクラフト聖誕祭)と命日(3月15日=邪神忌)にちなんだイベントを阿佐ヶ谷ロフトAで開催しています。今年も、8月20日にラヴクラフト聖誕祭を行います。最初のクトゥルフ神話作品『ダゴン』の執筆から100年目に当たるので、これをテーマに、クトゥルフ神話の起源を語ります。ゲストはドリヤス工場さん。