まだ戦場で大砲が使われることが一般的ではなかった時代、城塞都市を攻略するには、まず攻城兵器や人海戦術で城壁を越えなくてはなりませんでした。もしこのような状況におかれたら、あなたならどうやって城壁を突破しますか?
『図解 城塞都市』(開発社 著)は、城塞都市に関心をお持ちの方への入門編として、城塞都市での攻防戦のやり方や、歴史的な都市の戦闘の様子などを丁寧に解説しています。
今回はその中から、攻城兵器以外にどのような方法を使えば城壁を突破できるか、考察していきます。
目次
城壁を下から攻略する方法①塹壕を掘る
攻城戦が始まると、防御側は城壁の上から火矢や石などをこれでもかというくらい浴びせてきます。攻囲側は何とかしてその中をかいくぐり、城壁へとたどり着かねばなりません。衝角の一種である「猫」などの動くシェルターや大きな盾などを利用する方法もありますが、それ以外に使われたのが塹壕です。攻囲側が塹壕を掘る目的はふたつある。ひとつは、坑道兵が攻撃から身をかわしながら坑道を掘り進むため。もうひとつは、防御側の塹壕に対抗するために掘る場合だ。これを対壕掘り(対壕戦術)という。 『図解 城塞都市』p.124塹壕の掘り方にはいくつかのパターンがありました。
ひとつめは、城壁に対して並行に塹壕を掘る方法で、左右に移動できるようになるため部隊展開がしやすくなります。
ふたつめはジグザグに掘り進める方法で、まっすぐ飛んで来る矢などから当たりにくくなるという利点があります。このふたつのパターンを組み合わせて堀り進め、塹壕の内側にさらに第2、第3の塹壕を掘っていくことで、敵の攻撃から身を守りつつ、城壁に近づくことができました。
塹壕を掘ることは危険で困難な作業でした。掘り進める途中で陥没してしまう可能性がある他、次のような危険もありました。
塹壕を掘り進めている場合は、防御側の対抗塹壕による妨害に遭った。火を放って燻し出されたり、小規模な部隊に追撃され、坑道を破壊されることもあった。 『図解 城塞都市』p.124このような塹壕掘りは古代からすでに行われていましたが、火器や大砲が発達した後にさらに発展し、第2次世界大戦でも大いに活用されています。
城壁を下から攻略する方法②坑道戦
城壁をめざして穴を掘る戦法をもうひとつご紹介しましょう。敵の射撃から身を守りつつ地中を掘り進み、城壁を壊したり城塞都市の内部に侵入するという作戦です。古代に用いられていたのは、比較的浅い塹壕を掘り、できあがったルートを盾や木板などの遮蔽物で守りつつ城壁に肉迫。ピックなど先端の尖った道具で城壁の基部に切れ目を入れ、これを繰り返すことで城壁を貫通させるというものであった。 『図解 城塞都市』p.126さらに深く穴を掘り、城壁の基礎直下を攻撃することもありました。城壁の真下まで横穴を掘り進め、城壁の基礎を支える木杭に可燃物を加えて燃やしてしまうという戦法です。木杭が燃えることで、その真上にある城壁にダメージを与えたり、破壊したりできるというわけです。
とはいえ、坑道作戦はこのように城壁を破壊するためだけに使われたわけではなく、横穴を掘り進めてそのまま城壁内部への突入する場合にも使用されました。
無論、防衛側も坑道戦への対策は講じていた。城塞内部から同じように穴を掘り進めて迎撃したり、敵を煙で燻し出したり、坑道を埋めるなどして対抗したのである。 『図解 城塞都市』p.126ここまでご紹介してきた塹壕・坑道を掘るという作戦を使い戦いに勝利した例が中世にあります。1179年にエルサレム周辺で起きた「ヤコブの浅瀬の戦い」です。
サラディン率いる攻囲側の部隊は、砦内の敵兵士を弓矢でかく乱しつつ、城壁に向かって坑道を掘り進めます。
これは攻城戦における対壕戦術のひとつで、城壁の真下まで掘られた坑道の支柱を燃やし、城壁の自重により地下から崩壊させる作戦だった。当初は失敗したものの、やがて城壁を崩壊させることに成功。包囲が始まって6日でサラディン軍はシャステレを占拠した。 『図解 城塞都市』p.124◎関連記事
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ギリシャ火~城壁の上で活躍した火器とは~
ここまで城壁の下で行われる攻防戦をみてきましたが、視線を転じて城壁の上での戦いの様子についてもご紹介しましょう。攻囲側は投射兵器を使い、地上から弓矢や石、火のついた藁などを城壁の上めがけて放った他、タール桶を使った火攻めも行いました。
タール桶とは桶にタールを注いだもので、タールは燃焼時間が長いため、一度火をつけると長時間にわたって敵にダメージを与えることができました。
これに対し防衛側が対抗手段として用いたもののひとつに、「ギリシャ火」があります。 ギリシャ火はビザンツ帝国が使用した焼夷性兵器で、水をかけても火が消えず燃え続けたことから、海戦でよく使われました。これが攻囲戦でも用いられ、手りゅう弾のように敵の頭上に投擲したり、カタパルトなどの投射兵器で敵軍めがけて発射したり、さらには一種の火炎放射器として使われるなどしたといいます。
ギリシャ火の製法は秘密とされたため、残念ながら現代には伝わっていません。その歴史は古く、672年頃には完成し、コンスタンティノープル包囲戦ではイスラム艦隊から都を守るために大いに役立ちました。その後数世紀にわたり使われ周辺諸国を恐れさせましたが、時とともに使用されなくなりました。
このように、戦場ではあちこちで火器が飛び交っていたため、兵士や武器を被覆材で覆い火から守る工夫がなされていました。
さらに老人や動物の尿が消火や延焼を遅らせるのに極めて効果的だったため、攻囲戦が始まる前にこれらの尿を大量に集め、城塞の城壁内側に貯蔵することも行われた。そして戦闘が始まると、保護被覆材の上に尿が注がれた。 『図解 城塞都市』p.130以上のように、城塞都市をめぐる攻防戦では、攻城兵器だけでなく兵士たちによる地道な作戦も大きく戦況に影響しました。どんな作戦を採用するにせよ、状況に合わせた的確な戦略運営が城壁攻略のカギとなります。さて、あなたならどんな作戦を採用しますか?
本書で紹介している明日使える知識
- 高くそびえる城壁の終焉
- クサールは要塞兼穀物倉
- ネルトリンゲン(ドイツ)
- マルタ包囲戦
- アウレリアヌス帝の城壁
- etc...