書き手:朱鷺田祐介
ラヴクラフトという作家名、あるいは、クトゥルフ、ニャルラトホテプ、ヨグ・ソトースといった邪神の名前、魔道書『ネクロノミコン』、あるいは、インスマウス。アーカム、ダンウィッチなどの地名を一度は聞いたことがあるかもしれません。
それらはすべて、20世紀初頭に誕生した人造の恐怖神話の大系「クトゥルフ神話/Cthulhu Mythos」に由来したものです。 これに関する詳しい解説は、拙著『クトゥルフ神話ガイドブック』、あるいは『クトゥルフ神話超入門』で説明させていただきましたが、「ガイドブック」からすでに13年が経過し、色々、変わってきた部分もあります。この連載では、この10年ほどのクトゥルフ神話関連のトピックを四方山話として紹介して参りたいと思います。 序章となる今回は、クトゥルフ神話の概要と定義の話から。
目次
クトゥルフ神話の世界にようこそ
クトゥルフ神話(Cthulhu Mythos)とは、20世紀初頭、戦間期のアメリカのパルプ雑誌で活動したホラー作家、H・P・ラヴクラフトが生み出した人造のSFホラー・ファンタジーの系譜で、ラヴクラフトを生みの親としつつも、彼が仲間の作家たちと交流しながら、彼らの作品を積極的に取り込み、作り上げたものである。ラヴクラフトの死後、オーガスト・ダーレスらによって継承され、誰でも参加できる新たなホラーの形として発展した。 クトゥルフ、ニャルラトテップ、ハスター、ヨグ=ソトースなどのオリジナルの邪神を生み出し、その神話を内包した世界観を持つ物語群は、代表的な作品である『クトゥルフの呼び声』になぞらえて、クトゥルフ神話と呼ばれる。
なお、本来、人類には発音できない名前であることから、Cthulhuの訳語はクトゥルフ/クトゥルー/クルウルウ/ク・リトル・リトルと多種多様である。本稿では「クトゥルフ」と表記する。
神話の誕生と拡大
クトゥルフ神話が誕生するのは1920年代、アメリカのパルプ雑誌と呼ばれる派手目のエンターテイメント小説誌である。そのひとつ、『ウィアード・テイルズ』誌は、奇妙な物語という名前通り、ホラーを中心に扱う雑誌で、ここで、H・P・ラヴクラフトというロードアイランド州プロヴィデンス出身の作家が短編や中編を寄稿し始める。ラヴクラフトは1890年8月20日生まれ、1937年3月15日に亡くなるが、その間に、30ほどの小説を残した。彼の作品は、ややSF風味を加えつつも、新しい恐怖の可能性に挑戦したもので、斬新な作品でした。そこには誰も聞いたことのないようなオリジナルの邪神や宇宙人、古代種族や謎のアイテムが出てきた上、彼は自分の独立した作品をかすかにつなぐように、それらの設定や名称を織り込んでいった。その接着剤として機能したのが、深海に封じられた邪神クトゥルフと言った存在であり、あるいは、それらに関する禁断の知識を書き記した魔道書『ネクロノミコン』などであった。
その結果、それぞれの作品は独立した現代ホラーでありながら、読んでいくと別の作品との関連性が浮かんできて、作品の枠組みを越えた深みが感じられるようになるのである。
例えば、『ダンウィッチの怪』において、ミスカトニック大学の教授たちが異次元の邪神と戦うにあたり、その禁断の知識を求めて参照する魔道書『ネクロノミコン』は、彼の他の作品にも登場し、邪神や忌まわしい宇宙の実情を解明する手がかりとなっている。
ネットワーカーとしてのラヴクラフト
昔、彼が自称していたように、彼が老いさらばえた隠遁者の作家であったならば、このまま、これらの作品は奇妙な味わいを持つ一時代の作品群で終わっただろう。だが、ラヴクラフトはその自称とは裏腹に、アクティブな投稿者であり、アマチュア・ジャーナリズム(アマチュアの創作小説)の世界での有名人(色々な意味で)であり、アマチュア時代やデビュー後に築いた人間関係を維持するために、大量の手紙を書き続ける異常に筆まめな文通者であり、生活のために、他の小説家志望者の作品を添削して商業レベルに仕上げるゴーストライターでもあったから話がややこしい。
アマチュア・ジャーナリズムの世界では、辛口毒舌と論理で知られる批評家であり、同時に、郵便で作品を回覧し合うサークルをいくつも組織し、アクティブに創作小説を友人に回覧させていった。
その延長線上で、彼は作品のアイデアを書簡で友人に相談したり、書き上げた作品を雑誌に寄稿する前に友人たちに回覧して意見を求めたりした。
その際、友人の考えた異形の存在を自分の作品に取り込んだり、逆に、友人たちにネタを提供したりした。
その結果、ラヴクラフトのアイデアだった邪神クトゥルフとそれに関する世界設定は仲間たちにも共有され、しばしば、用語として取り込まれた。ラヴクラフト自身が、ゴーストライターとして添削した作品の中に、自ら神話用語と設定を組み込んでしまうこともあった。
さらに、理論派でありながらロマンティストでもあったラヴクラフトの人徳を慕う友人たちも多々おり、特に、デビュー後は年下の作家に対する面倒見もよく、賞賛の言葉とともに文通を申し込むことも多かった。
後に、『サイコ』を書くロバート・ブロックはラヴクラフトと親しく文通した1人で、晩年のラヴクラフトに手紙を書き、作品中でラヴクラフトを殺す許可を求めると、ラヴクラフトはこれを快諾した上、彼の作品に対する返歌として、ブロックをモデルにしたキャラクターを『闇をさまよう者』で恐怖の末に殺して見せた。
「クトゥルフ神話とは楽しいゲームだった」と後に、ブロックが言うように、おおらかな時代の作家の遊びとして拡大し、ラヴクラフトの死後も消えなかった。
この状況は、いわゆるシェアード・ワールドに近い部分があるが、実際のシェアード・ワールド小説のように確固とした設定基準もなければ、ムーブメントを統括するリーダーもいない。ラヴクラフトやダーレスはキーパーソンではあるものの、細かい設定を管理していた訳ではない。『図解 クトゥルフ神話』などで知られる森瀬繚氏は、主にキーワードとなる固有名詞が共有されて、緩やかな関係性のネットワークが形成されることから、この状況を「シェアード・ワード」と呼んでいるが、まさに適切な表現であろう。このゆるやかさがそのまま、現在に続くクトゥルフ神話発展の要因となっている。
ラヴクラフト後の拡散
ラヴクラフトの死後、彼の弟子を自認する若い作家オーガスト・ダーレスらがラヴクラフト作品を保存するべく、自ら出版社「アーカム・ハウス」を興し、自分もクトゥルフ神話を書き続けたことも、クトゥルフ神話が拡大した要因ともなった。その後も、さまざまな作家がクトゥルフ神話に参加し、さらに、ゲームの題材ともなった。現在、日本で大ブレイクしている『クトゥルフ神話TRPG』(最初の翻訳時は『クトゥルフの呼び声』)はその代表格であるが、すでに30年以上の歴史を持っている。
こうした流れの中で、クトゥルフ神話はラヴクラフトおよび第一世代の作家を原典とみなしつつも、その時代やメディアに応じて自由なイマジネーションをもって、クトゥルフ神話を拡大解釈し、受容し、再生産していった。
日本への到来
日本でのラヴクラフト紹介は、昭和30年代、江戸川乱歩が『宝石』で行ったものから始まったとされるが、この前の段階で、日本に駐留した米軍兵士が残したペーパーバック類がもたらしたアメリカのホラーやSFの中にラヴクラフトも存在していた。その後、SFやホラーの分野から紹介されるとともに、1986年にTRPG『クトゥルフの呼び声』が翻訳され、大人気になった。この頃、遊んでいたプレイヤーたちが現在、ゲームや小説などの最前線にいて、自らの作品にクトゥルフ神話要素 を組み込んでいる。
TRPG『クトゥルフの呼び声』は絶版になってしまったが、21世紀に入り、『クトゥルフ神話TRPG』として復活、ゼロ年代後半から、ネット上 で、『クトゥルフ神話TRPG』のリプレイ動画が大人気を博したことで再ブレイク、現在の若者層にとっては、クトゥルフこそがTRPGの代名詞となっている。