装飾品と聞いて、思い浮かべるものは何でしょう? ネックレスなどの首飾りがまず出てくる人は多いのではないでしょうか。では、「日本の首飾り」と聞いて、思い浮かべられるものはあるでしょうか。
イメージできない人は多いと思います。というのも、日本の首飾りは、平安時代に入るとほとんど用いられなくなったためです。 今回は『図解 装飾品』(池上良太 著)を参考にしながら、日本、そして日本文化に大きな影響を与えてきた中国の首飾りを紹介しつつ、なぜ日本の首飾りは消えていったのか、その歴史をたどっていきたいと思います。
目次
中国の首飾りは男性にも使われていた!?
古代中国では、最も古いもので1万年以上前から首飾りが用いられていたとみられています 。最古のものは、貝殻を連ねて作られており、貨幣同様の価値を持っていたとされています。貝殻が手に入りにくい地域では、貝殻を真似た石や焼き物、金属製のビーズなども使われてきました。このような首飾りは女性の装飾品という扱いであり、一部を除いて男性が身につける事はありませんでした。
そして、時代が経つにつれ、首飾りは以下のように変化していきました。
・素材:貝殻から金、銀、水晶、琥珀、トルコ石、翡翠、焼き物、骨など様々な素材が使われるようになる。
・形状:ビーズを乱雑に連ねていただけのものが、やがて両端から中央に向けて次第に大きくなるように配置するなど、規則性がみられるようになる。ビーズ自体も台形、球体、動物形など様々な形が使われるようになった。
中国の首飾りは、多種多様です。代表的なところでは、以下のような物があります。
・項鏈(こうれん):いわゆるペンダントで、ビーズを連ねたものや鎖で垂れ飾りを吊したものでした。
・念珠:もともとは仏教僧が経を念ずる際に用いるものでしたが、明や清の時代に装飾品として用いられていました。
・朝珠:念珠から生まれた清の時代の身分証のようなもの。男性も身につけるものとなりました。
・纓絡(ようらく):仏像の胸元を飾る首飾りに由来しているもの。宮廷の女性たちが主に身につけていました。金属製の首飾りをベースに飾り板や垂れ飾りをいくつも付ける 豪勢なものでした。
・長命鎖(ちょうめいさ):子供の長命を願う護符。錠前を象った飾りをビーズや鎖、紐などで吊したものでした。
このように、時代や文化に合わせて、様々な形の首飾りが用いられてきました。
徐々に消えていく日本の首飾り
では日本ではどうでしょうか。日本でも、首飾りは最も歴史のある装飾品の一つといえます。旧石器時代には小さな石に穴を開けたビーズを連ねた単純なものが登場しており、縄文時代には貝殻や動物の牙、翡翠などの宝石が、弥生時代にはガラス製のビーズが使われるようになるなど、時代とともに素材も増えていきました。
古墳時代には、さらに金、銀、青銅といった金属類も使われるようになります。
ビーズの形状も、古墳時代には、 ・勾玉形 ・管玉形 ・丸玉形 ・そろばんの珠形 などの、様々な形状のものが用いられるようになりました。
飛鳥時代、奈良時代になると、耳飾りや腕輪などの装飾品は一気に減ってしまいましたが、首飾りは引き続き用いられてきました。ただそれも、古墳時代から続く伝統というよりは、中国の文化を取り入れた唐風のデザインでした。
平安時代になるとその首飾りすらも消え、首にかけるものとしては、懸守(かけまもり)、つまりお守り袋が長く用いられました。
なぜ日本では、首飾りがなくなっていってしまったのでしょうか。日本では、奈良時代以降独自の服飾文化が発展し、装飾品よりも、衣服そのものや漆器や陶器など、実用品を華美なものにすることに価値を見出していったことが、こういった装飾品が消えていった理由だと考えられています。首飾りよりも、趣向や贅をこらした衣装を重ね、襟口や袖口に覗くその雅な色合いを楽しむことが、装いとして重要視されていったのです。
首飾りは、室町時代後期に一時復活します。この時代、ヨーロッパとの交流が始まるようなり、外国産のロザリオなどが首飾りとして使われるようになりました。しかし、それもキリスト教禁止令が出ると、キリシタンと間違われることを恐れて廃れてしまいます。
その後、首飾りは明治時代に西欧化が始まるまで現れませんでした。明治時代に政府高官や富裕層の夫人に洋装が広まったことにより、日本の首飾り文化が復活したのです。明治時代の中ごろには国内生産も始まり、ヨーロッパのデザインを取り入れた首飾りが作られるようになりました。
日本の装飾品は日本独特の世界が存在する
日本では実用品を華美にすることに価値を見出した、と書きましたが、その傾向は江戸時代にも続いています。この時代、政情が安定すると、実用品から発展した装飾品は富裕層だけでなく、幅広い層に用いられるようになりました。江戸時代の男性は、以下のようなアイテムを装飾品として使用していました。
・印籠(いんろう):朱肉入れや薬入れとして活用された楕円形の小箱。木や象牙、四分一(4分の1が銀、4分の3が銅の合金)などの合金で作られ、漆を塗り、蒔絵や螺鈿、彫金などで装飾を施しました。やがて、時代劇の『水戸黄門』でも見られるように持ち主の身分を示す装飾品になっていきました。
・根付(ねつけ):印籠や煙草入れの紐の端に付け、帯に吊すために活用された小さな留め具。象牙や柘植など様々な素材で作られ、徐々にファッションアイテムとなっていきました。紐と装飾品を繋ぐ側に付けられた緒締めと共に使用されました。
・煙草入れ:いわゆるシガレットケース。煙管を入れる筒とセットになっていたり、形状も素材も様々でした。 次に女性の装飾品に付いて見ていきましょう。
・紙入れ:鼻紙を入れるもの。本来は男性も使用していたが、次第に装飾品化され女性が持つものになりました。
・箱迫(はこせこ):武家の女性が化粧品を入れるもの。紙入れの一種で、 江戸時代末期に登場しました。 紙入れと箱迫は、どちらも布製で、舶来の高価な布に刺繍を入れたものが使用されました。箱迫は現在でも、七五三や花嫁衣装など、きちんとした和装の際は装飾品として使われています。
・帯留め:幅広になった帯を固定する帯締めに脱着を簡単にする金具が付いているもの。江戸時代末期から明治時代にかけて流行しました。明治時代に入ると単純に帯締めに通す飾りとなり、貴金属や宝石類をはめ込んだ豪華なものも登場しました。
明治時代に入ると洋装が広まってきて、男性は懐中時計にカフスボタン、シガレットケースに洋傘、女性はブローチと洋傘が用いられるようになりましたが、こういった伝統的な装飾品も使われていました。
本書で紹介している明日使える知識
- 頭飾りの分類と各部名称
- 古代エジプトの装飾品の歴史
- 中世の腕輪(ヨーロッパの装飾品)
- 中世前期から盛期の首飾り(ヨーロッパの装飾品)
- イスラム教文化圏の主な装飾品
- etc...