今回は『猫の神話』(池上正太 著)を参考に、遙か昔の紀元前、熱狂的なエジプト人たちによって、猫たちが神へと進化させられた足跡を辿ってみたいと思います。
目次
みんなメロメロ! ライオンの頭と月の目を持つ猫たち
紀元前4000年ごろ。きっかけは「鼠捕りが上手い!」—どうやらそんな理由から、エジプトの人たちは野生の猫を手なずけはじめたようです。そして中王国時代(紀元前2055〜前1650年)には、すっかり人間の生活に馴染んでいたといいます。いつの時代も猫の人気はカルト級ですが、エジプトの人たちもすでにメロメロになっていたのでしょう。上流階級の人たちは、川魚の刺身にミルク、パンなどを餌として猫たちを大事に飼育し、この頃には最古の猫の絵も描かれています。
収穫物を荒らす鼠や、毒蛇、人々を困らせる存在を狩ってくれる猫たちですが、しかしその力だけが魅力ではありません。
古代エジプト人たちは猫のことを、「ライオンの頭と月の形をした目を持ち、光と闇を司る」と考えていたのだ。猫たちの目は日差しによってその形を変える。あたかも月の満ち欠けのように。さらに、光を集め闇の中で輝きすらする。 『猫の神話』p.47当時、ライオンは強さの象徴です。砂漠に棲んでいたことから、地平線、すなわち日の出と日の入りの場所を守護するとされていました。 さらに「あの世の闇」に囚われることを恐れていた人々は、闇を払う輝きを持つ猫の眸にも魅せられてしまいました。 ここまでくれば、エジプトの人々が徐々に熱狂的になっていくのもしょうがないことです。
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テンションマックス! エジプト全土で猫崇拝
すっかり猫に魅せられてしまった人々は、エジプト中部、ペニ・ハッサンで大規模な猫信仰をはじめます。有名なものは、音楽や多産を司り、優しく陽気な猫の姿をした女神「バステト」です。
バステトは、猫とともにペニ・ハッサンの土地に持ち込まれて、「パケト」という雌ライオンの頭を持つ女神として崇拝されていました。
やがて、バステトは猫と結びつくことで多産の女神として信仰の対象となっていきます。 そして第18王朝(紀元前1550〜1295年)の女ファラオがパケトを王家の祀るべき神としたことで、猫たちもその地位をさらに高めました。
闇への恐怖が強かったこの時代。
闇の化身の蛇「アポピス」が登場し、猫に姿を変えた太陽神ラーと、その娘ともされるバステトがともに戦い、アポピスを切り刻む神話も生まれます。
こうしてテンションの上がってゆく王朝と民衆ですが、まだまだ止まりません。
第22王朝時代には、パステトが王朝全体の守護女神となり、彼女の神殿もできあがります。そこでは神猫として、1匹の母猫と、4匹の子猫が神官に大切に養育され、猫たちのために膨大な金品も献納されました。その熱狂っぷりたるや、ついには「ピマイ」という雄猫を意味する名前のファラオまで登場するほど。
もちろん忘れてはいけないのが、エジプトといえば、ミイラです。死を迎えた猫たちは大切にミイラにされて、大量の副葬品と一緒に埋葬されました。
スタイル抜群ファッショナブル! 猫の女神バステト様
さて、バステトについてもうすこし見てみたいと思います。その名前は「バスト(香油軟膏の壷)の婦人」を意味し、太陽の豊かな熱を神格化した守護者的なイメージを持つ存在である。 『猫の神話』p.50もとはライオンだった彼女。ライオン崇拝の土地、ブバスティスから彼女に対する信仰がはじまりました。
また息子とされる「マヘス」も、ライオンの頭を持っています。マヘスはお母さんと違って、殺戮や戦争、嵐と、ちょっと荒々しいものを司っているようです。
お母さんのバステトは、最古では紀元前2890年頃、石製の容器に彫刻された姿で確認されています。 さすが婦人、上が輪になった十字架の聖なるアンク、笏(しゃく)、メナトという首飾りを持っていました。
猫の存在が一般的になってくるとバステトは猫を聖獣とし、姿も猫、あるいは猫の顔を持ち異国風のドレスを着たすらりとした体格の女性と考えられるようになっていく。持ち物も、がらがらのような鳴り物シストラム、盾、籠といったものに代わり、神格も音楽や歓喜、多産といったより世俗的で陽気なものとなった。 『猫の神話』p.51しなやかな身体を持つ猫科なだけあって、やっぱりドレスが似合ってしまうのですね。持ち物が変化していくのも実にファッショナブルです。
エジプトには他にもさまざまな女神がいますが、彼女たちと結びつくことで、バステトもいろいろな要素を持つようになります。なかでも同じく雌ライオンの頭を持つセクメトと同一視されると、父とされる太陽神ラーの敵を殺戮するという一面も見せます。
バステト母さんは、エジプト人みんなの母さん?
猫はいちどに平均4匹のこどもを産みます。バステトはこの4匹の子猫と一緒に描かれることが多く、それが彼女の象徴になっています。先に触れたように、神殿でも母猫1匹+子猫4匹で養育されていたのもそういうわけです。不妊に悩む女性や子孫繁栄を望む人々は、神殿に猫の像や供物を奉納しに行きました。ギリシアの高名な歴史家ヘロドトス(紀元前 485 ?~ 前420 ?年)は、巨大な濠と人造林に囲まれたバステトの神殿を、「この神殿ほど目に心地よい印象を与えるものは他にない」とまで言い切っている。 『猫の神話』p.51これほど愛されるバステトですから、もちろんお祭りも賑やかでした。
多数の男女が船に乗ってブバスティスの神殿を目指し、カスタネットや笛を鳴らし、歌って大量の葡萄酒を飲んでと、大騒ぎです。なんとその参加者、こどもを除いても70万人というから驚きです。
しかもこのお祭りには、ロマンティックな「恋バナ」も残されています。
船に乗った金持ち息子ケボが、隣の船に乗った美女に恋をして、すでにお互いに良い雰囲気でした。そんなときにケボは、1匹の子猫が板切れの上で震えながら流されているのを見つけます。
バステトのお祭りでそんなことがあってはいけません。ケボはワニに襲われる危険を顧みず、ナイル川に飛び込み、そして無事に子猫を救います。
当然周りからは賞賛され、すっかり英雄になったケボですが、その騒ぎのせいで娘の乗った船を見失います。
その後、探しても探しても彼女は見つかりません。 ケボは神殿で彼女を待つことにするのですが、そのとき一匹の黄色い猫が足元にやってきます。そして「ニャア」と鳴く猫のあとを追っていくと、たどり着いた家のなかから、なんと探していた美女が出てきます。家族も英雄のケボを大歓迎です。
ふたりは祭礼の続く間に、めでたく結婚。その席でケボは、ジャスパー(碧玉)でできた護符を娘にプレゼントをします。
それは彼女のところに導いてくれた神殿の猫を象っていて、彼女はいつまでも猫のことを忘れなかった……というお話です。
きっと子猫を救ったケボに感謝し、バステトがふたりを結びつけてくれたに違いありませんね。 荒々しい実子がいるバステト母さんですが、恋のお世話から妊活支援まで、彼女はエジプト人みんなにとっての、偉大なるお母ちゃんだったのでしょう
以上、エジプトにおける猫の神格化の軌跡でした。 古今東西、ほんとうに猫は愛されていますね。
本書で紹介している明日使える知識
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