『図解 城塞都市』(開発社 著)は城塞都市の世界に関心をお持ちの方への入門編として、ヨーロッパを中心とした古代から中世の城塞都市のつくりや戦い方などを丁寧に解説しています。
今回はその中から、そもそも城塞都市とは何か、城塞都市に欠かせないシンボルとは何かを探ってまいります。城塞都市の設計家になったつもりで、当時の城や街並みに思いをめぐらせてみませんか。
目次
城塞都市とは何か? 世界最古の町イェリコ
紀元前4000 年ごろ、かんがい農業が発達すると食料の生産量が上がり、人口も増加。人々が集ってできていた村落は、やがて都市へと発展する。『図解 城塞都市』p.8城塞都市とは、壁や堀などで囲まれた街のことで、城郭都市や城壁都市とも呼ばれます。
紀元前数千年の昔、農業の発達とともに世界各地で初めて町が生まれました。やがてそこに住む人々は、外敵や動物などから自分達を守るため、町の周囲に壁や堀をめぐらせるようになります。こうしてできたのが城塞都市です。
ヨルダン川にほど近いイェリコは世界最古の町とされており、紀元前7500 年ごろにはすでに壁で町を囲んでいたという。『図解 城塞都市』p.8パレスティナのヨルダン川西岸にある都市イェリコには、紀元前9000年ごろから人が住んでいたといいます。当初、壁は存在しなかったようですが、洪水や人口の増加、交易の発展などから富が蓄積され、町を守る必要が生じたため、壁で囲われた城塞都市となりました。
このような城塞都市はその後、中世の時代までの数千年にわたり、ヨーロッパを中心に世界のあちこちで建設されました。世界遺産で有名なフランスのカルカソンヌや大人気漫画『進撃の巨人』の舞台ともいわれるドイツのネルトリンゲン などがその一例です。
ではこれらの城塞都市に欠かせない施設とは何でしょう? ここでは城塞都市のシンボルとして3つの施設を取り上げてまいります。
城塞都市のシンボル①壁の持つ2つの役割
まずひとつ目のシンボルは壁です。城塞都市は壁で町を囲ってつくられた都市ですから、壁がなくては始まりません。では壁の持つ役割とは何でしょう。都市に壁が必要だったのには、大きく分けて2つの理由がありました。
ひとつは、外敵から身を守ることです。古代~中世の時代は、必ずしも現代のように法律や警備隊が整備されてはおらず、また異民族や他国の軍隊との戦いも多かったため、町を防衛することはとても重要な課題でした。町の周りを壁で囲めば町の防御力は上がりますし、目に見える障害物があるということは襲撃を画策する者の心理に一定の歯止めをかけさせることにもつながったことでしょう。
都市を城壁で囲んだ理由のもうひとつは、都市を効果的に発展させるためである。『図解 城塞都市』p.12城壁で囲むと町の広さは有限になるので、建物の配置や建築の優先度を決めておく必要があります。城壁の建設と都市計画の立案とは切っても切れない関係だったのです。
町の広さをどのくらいにするかは都市計画の大切なポイントでした。城壁を建設してから都市をつくるか、あるいはできあがった町に城壁を建設するかは、その町や年代によって異なりました。
たとえばギリシャの都市国家では、城壁は町が発展した後に建設されるものでした。この場合、城壁がない期間があるため、防衛には不安がありますが、町をある程度自由に発展させることができます。逆に壁を先に建設した場合、防衛という観点ではよいのですが、町の発展に柔軟に対応することが難しくなります。16世紀末にヴェネツィア共和国によって築かれた星形の都市パルマノーヴァは、2万人の人口を見込んで建設されましたが、実際の人口は5,000人を超えることはありませんでした。これでは城壁が大きすぎてしまい、防衛に余計な人手と資金がかかってしまいます。
城塞都市のシンボル②堀や溝で防御力を強化
続いてふたつ目のシンボルは、都市の周囲に掘られた堀や溝です。城壁の外側に堀をめぐらせることで、都市を守りやすく攻めにくい構造にすることができます。その一例がフランスの城塞都市カルカソンヌです。フランス南部の町カルカソンヌは、現存する中世の城塞都市では最大級の都市で、「歴史的城塞都市カルカソンヌ」としてユネスコ世界文化遺産に登録されています。
争いの余波を受けて一度は壁を壊されてしまいますが、修復されたカルカソンヌはその後、イギリスとの百年戦争も耐えぬくこととなりました。
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城塞都市のシンボル③塔は町の中心
ヨーロッパの初期の城塞都市は、町の周りを壁や堀、門で囲まれていただけでしたが、やがて町の中に主塔(キープ)と呼ばれる塔が建てられるようになりました。主塔は多くの役割を担いました。上階には城主の居住区が設けられた他、晩餐会を開くための大広間も設置され、貴族たちの社交場となりました。
また中世以降になると、最上階には牢獄が備えられ、捕虜などが収容されました。高い場所にあるため脱獄が困難だとされたのです。この牢獄はルネサンス期以降、塔の地下に設けられるようになりました。
この他、塔の内部は食料の備蓄倉庫として使われることもありました。城塔の最上部は町の中でいちばん高い場所にありましたから、牢獄以外にも見張りをするための場所として使用されたり、いざという時には籠城する場所としても利用されたりしていました。
主塔の例として、城塞都市のひとつ、コンスタンティノープル(現在のイスタンブール)にあるガラタ塔があります。ガラタ塔はビザンチン帝国時代に灯台として建設されましたが、十字軍の遠征で焼失し、14世紀にジェノヴァ人によって監視塔として再建されました。オスマン帝国時代には牢獄の他、天文台や火災監視塔としても利用されたといいます。
このように、城塞都市には城壁、堀、塔の3つのシンボルが欠かせない存在でした。これらのシンボルは都市によって外観が異なることも多かったため、住民にとって「この町こそが自分の住む町だ」という誇りにもなりました。
本書で紹介している明日使える知識
- ギリシャとローマの城塞都市の違い
- なぜ日本には城塞都市がなかったのか?
- ヒッポダモスの都市計画
- ビザンチン要塞が与えた影響
- 古代ローマの都市創設の儀式
- etc...
ライターからひとこと
城塞都市は紀元前のはるか昔から中世まで、実に数千年にわたって人々の命や食糧を守り続けました。世界史で習った中世ヨーロッパの戦争の歴史も、各地にある城塞都市に視点をあてれば新しい発見がありそうです。最近ではゲームや漫画などの創作物にも城塞都市が登場するものがたくさんあります。本書には城塞都市の概要が網羅されていますので、創作物の世界観を考察する際もきっと役立つでしょう。
『図解 城塞都市』の関連項目を限定公開! (2017年6月14日~2017年6月30日)