神々と英雄、妖精、魔法使い。神秘的かつ幻想的なイメージで語られることが多い「ケルト神話」は、古代ヨーロッパに広く居住していたケルト人の神話です。登場人物やエピソードが創作物のモチーフとして使われることもありますが、日本においては、あまり馴染みのない神話と言えるでしょう。
『図解 ケルト神話』(池上良太 著)では、ケルト神話の世界観や登場人物の詳細、不思議な道具と動物たち、ケルト人の雑学について、イラストつきで解説しています。
今回はその中から、ケルト神話をこの世に誕生させた民族「ケルト人」とは一体何者であったのか、本書の記述に沿ってお話しします。
目次
ケルト人とは?意外と広いその定義
ケルト人とは一体どこに居住していたか、の問いに対して、「アイルランド」と答える日本人は少なくないでしょう。しかし、それだけでは正解とは言えません。 確かに、アイルランドには今もケルトの文化が息づいているイメージがあります。また、日本でも一般に知られているケルト人の物語や神話のエピソードの多くが、現在のイギリスを含むブリテン諸島に関連するものである、という背景もあるでしょう。 では、ケルト人とは誰をさし、どの地域に居住していた人々をさすのでしょうか。ケルト人は、古代ヨーロッパの中部と西部、そして地中海の一部地方などに住んでいた人々の総称である。『図解 ケルト神話』p.224つまり、ケルト人とはイギリス・アイルランド地域に限定された存在ではなく、現代の我々が「ヨーロッパ」と聞いて思い浮かべる地域のうち、相当な面積を占める部分で生活していた人々ということになります。
そして、総称という言葉が示す通り、ケルト人とは単一の民族をさす表現ではありません。広範囲に分布する彼らケルト人は多くの部族に分かれていたほか、信仰する神も、語り継がれる神話の内容もバラバラだったのです。
彼らがケルト人と総称されるようになったのは、紀元前7世紀ごろのギリシア人が「ケルト語を話す人々」という意味で「ケルトイ」と呼んでいたためでした。要するにケルト人とは、民族単位の呼び名ではなく、ギリシア人目線で特定の言語を話す異民族のことを示す表現から生まれた言葉だったのです。
「ケルトイ」は「ケルト語を話す人々」という意味であり、彼らを「ケルト人」としてつないでいるのは、インド=ヨーロッパ語に属するケルト語と呼ばれる言語と、装飾など各種の文化的特徴に過ぎない。『図解 ケルト神話』p.224
さらに言えば、彼らは見た目すらバラバラでした。ケルト人といえば、カエサルの『ガリア戦記』に描かれたような金髪・長身の民族を思い浮かべてしまいますが、実際には、黒髪でずんぐりした姿の部族も存在したようです。
文化が異なるケルト人? 大陸ケルト・島嶼ケルトとは
ケルト人とは2つの共通点でつながれた様々な人々の総称である、とお話ししましたが、ケルト人という存在を語る上では、もうひとつ重要となる枠組みがあります。 それが、大陸ケルトと島嶼ケルト(とうしょケルト)。ケルト人を2つのグループに分類する言葉です。
大陸ケルトは、中央アジアから来た民族ともされ、中央ヨーロッパを中心に紀元前7世紀から3世紀にかけて北イタリア、イベリア半島、バルカン半島までの広い地域に分布し、部族ごとに独自の支配体制を確立していた。『図解 ケルト神話』p.224大陸ケルト、つまりユーラシア大陸のヨーロッパ地域に分布していたケルト人とは、古代ローマ人から「ガリア人」とも呼ばれていた人々を含む言葉で、イギリス・アイルランド地域以外のケルト人と言えるでしょう。
しかし、ガリア・キサルビナと呼ばれたアルプス以南の部族たちがローマ属州となったのを皮切りに、次第にローマ人の支配下に組み込まれていくようになる。最終的にはゲルマン人たちの侵攻もあり、ローマやゲルマンに同化され姿を消していった。『図解 ケルト神話』p.224異民族のテリトリーに接する地域で生活していた彼らは、外からの圧迫を受けやすい環境にありました。時代が下るにつれて被支配層となる部族が増え、徐々に異民族に吸収されていったのです。 では、もう一方の島嶼ケルトとは、一体どのような人々なのでしょうか。 既にお気づきかもしれませんが、彼らは島のケルト人、つまり現在のイギリス・アイルランドにあたるブリテン諸島に分布していたケルト人です。
一方、島嶼ケルトはケルト文化圏ではあるものの、先住民族であるピクト人、ケルト以前のイベリア半島の民族、ゲルマン民族などの混血がその中心で、大陸ケルトとの血縁関係は薄い。『図解 ケルト神話』p.224同じケルト人と呼ばれる存在であっても、彼ら島嶼ケルトの人々は、大陸側のケルト人とは異なる歴史をもっていました。島国であり、大陸に分布するケルト人のように異民族の圧迫を受けにくい環境ではあったようですが、ローマやゲルマンの侵攻が全くなかったというわけでもありません。
このように、現在のイギリス・アイルランドには、ケルト人と呼ばれる民族とその独特の文化が残りやすい歴史と環境がありました。そのため、島には現在も、ケルト人の文化やケルト語系の言語が色濃く受け継がれています。
ブリテン島東部は1世紀から5世紀のゲルマン侵攻までローマに占領されたものの、ブリテン島西部のスコットランドやウェールズ、アイルランドは侵略を免れており、島国特有の閉鎖環境で独自の文化的発展を遂げていくこととなる。『図解 ケルト神話』p.224
現在、日本人の多くが島嶼ケルトの文化や音楽を主にケルト文化として認識しているのには、それ以外のケルト人が時代とともに姿を消してしまったため、という歴史的な事情も大きく関係しているでしょう。
ケルト人とは、部族ごとに独特の文化をもちながら、ヨーロッパの広い範囲で暮らしていた人々です。決して画一的な民族ではなかったということが、お分かりいただけたでしょうか。
大陸ケルトは歴史の表舞台から消えてしまいましたが、現在のヨーロッパ文化には、彼らの影響をいくつも見ることができます。
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ライターからひとこと
「ケルト人といえば、金髪碧眼で背が高くて、森の中で女神や妖精と戯れて……」というイメージは、ケルト人と呼ばれる大集団のうち、ごく一部の人々の外見や神話上のイメージを切り取ったものに過ぎません。彼らは神話に登場する架空の存在ではなく、古代ヨーロッパで実際に生きていた人間たちです。人が集まれば文化が生まれ、独自の社会が築かれるもの。本書の第4章には、彼らケルト人が一体どのようなものを食べ、何を楽しんで余暇を過ごし、どのような社会構造をもっていたのかなど、「ケルト人とは?」の問いに答える様々な雑学が掲載されています。