吸血鬼といえば、ファンタジー作品に欠かせない要素のひとつ。
日本のアニメや漫画・ゲームにも頻繁に登場し、お気に入りの吸血鬼キャラクターがいるという方も多いのではないでしょうか。
そんな吸血鬼の存在を世界的に認知させたのは、やはり「ドラキュラ伯爵」をおいて他にはないでしょう。
今回はその「ドラキュラ伯爵」の由来について『図解 吸血鬼』(森瀬繚/静川龍宗 編著)からご紹介します。
目次
「ドラキュラ伯爵」はキャラクター名
今や吸血鬼の代名詞となったドラキュラ伯爵。中には、吸血鬼そのものをドラキュラと呼ぶ人もいますが、これはよくある間違いです。
吸血鬼を意味する英語は「ヴァンパイア」であり、「ドラキュラ伯爵」とはあくまで、小説作品『吸血鬼ドラキュラ』に登場するキャラクターの名前です。
小説に登場する吸血鬼ドラキュラ伯爵、その原点は?
ドラキュラ伯爵は、ブラム・ストーカーの小説『吸血鬼ドラキュラ』(1897年)で登場しました。昼は棺桶で眠り、夜になると人の血を吸い、十字架とニンニクを嫌う……
これぞわたしたちのイメージする吸血鬼というキャラクターですが、このドラキュラ伯爵には元になる作品や伝承などがすでに存在しました。
ストーカーが吸血鬼小説を執筆した直接的なきっかけは、同郷の先輩であるシェリダン・レ・ファニュが1872年に著した『吸血鬼カーミラ』である。 この作品を読んで、「吸血鬼」というテーマに強く惹かれたストーカーは、いつか自分なりの吸血鬼小説を執筆しようと思い定めたのだとされている。『図解 吸血鬼』p.44ドラキュラ伯爵の生みの親であるストーカーは『吸血鬼カーミラ』に影響されたのち、1890年に、ハンガリーのブタベスト大学で東洋言語学を執っていた、アルミニウス・ヴァンベリー教授に出会います。 ヴァンベリー教授は冒険家でもあり、数々の国の伝承をストーカーに伝えました。
その中でもトランシルヴァニア地方の伝承はストーカーの興味を惹き、そこからさらに吸血鬼小説の題材を掴んだといわれています。
後にストーカーは感謝の念を込め、ヴァンベリー教授をモデルにした、ヴァン・ヘルシング教授という重要なキャラクターを『吸血鬼ドラキュラ』に登場させています。
ドラキュラ伯爵のモデルの一人「串刺し公」ヴラド3世
ストーカーがヴァンベリー教授から得た知識は、伝承だけではありません。ワラキア公国とモルダヴィア公国の物語」という書物の中にドラキュラ公ヴラド・ツェペシュの名前を見出したストーカーは、1892年に再会したヴァンベリー教授に、この禍々しい人物についてあれこれ質問している。『図解 吸血鬼』p.44このヴラド・ツェペシュこそ、ドラキュラ伯爵のモデルとされる人物です。
トランシルヴァニアに生まれたワラキアの領主ヴラド3世は、仇敵である支配国・オスマン帝国と闘った英雄将軍。
しかし彼はその残虐性ゆえに「串刺し公」「悪魔の子」の異名をもち、まさにドラキュラ伯爵のモデルとして相応しい、数々の恐ろしい逸話が後世に伝わっています。
「串刺し公」と呼ばれた理由は、捕虜を肛門から口まで木の杭で貫き、そのまま地面に突き立てて野ざらしにしたことから来ています。
「ドラキュラ伯爵」その名の由来は、悪魔か竜か?
前述したように、ドラキュラ伯爵のモデルとなったヴラド3世には「串刺し公」の他に、「悪魔の子」という呼び名がありました。この呼び名こそが、ドラキュラ伯爵の「ドラキュラ」の由来です。 由来には諸説ありますが、有名なものとしては以下があります。
暴虐な支配者として領民に恐れられていたという父ヴラド2世の「悪魔公(ドラクル)」という呼び名を受け継ぎ、「ドラクルの子」を意味する「ドラクレア」から変化して「悪魔の子(ドラキュラ)」と呼ばれるようになったという説だろう。『図解 吸血鬼』p.47しかし、「ドラクル」が「悪魔」という意味を 含んでいたとは限りません。
『ヨハネの黙示録』を例に挙げるまでもなく、キリスト教世界においては古来、悪魔と竜は同一の存在と考えられており、ラテン語の「Draco」にも双方の意味が含まれている。『図解 吸血鬼』p.47以上を踏まえ、ヴラド2世が神聖ローマ帝国の龍騎士(ドラゴン騎士団)に任じていたことから、「ドラクル = ドラゴン」と解釈する研究者も多いようです。
もしかするとヴラド親子の残忍性によって、名誉ある「竜」の名前が、「悪魔」に転じてしまったのかもしれません。当時『ドラキュラ大将軍の血に飢えたる野蛮なる凶悪漢についての物語』と題されたパンフレットが存在することからも、ヴラド3世のドラキュラの異名と残忍性は、際だって有名であったことがうかがえます。
ヴラド3世がドラキュラ伯爵のような吸血鬼であるという伝説はありませんが、その残忍なイメージは、彼の出身地であるトランシルヴァニアに伝わる伝承とともに、ストーカーの中でドラキュラ伯爵のイメージ、ひいては『吸血鬼ドラキュラ』へと繋がっていったのでしょう。
こんなところにもいるの? 世界の吸血鬼伝説
ドラキュラ伯爵は、作者ストーカーの創作人生の集大成
ドラキュラ伯爵の生みの親、ブラム・ストーカーは、1847年にアイルランドの首都、ダブリンで生まれました。未熟児で生まれたストーカーは、少年時代の大半をベッドの上で過ごし、母親からアイルランドの民話や妖精物語を聞かされて育ったようです。
この経験が、彼の創作活動に大きな影響を与えたことは想像に難くありません。
ストーカーは大学に進学すると、演劇にのめり込みます。
卒業後には文筆活動も行っており、1875年には通俗週刊誌上で「運命の絆」という怪奇小説も連載しています。
その後劇場支配人に就任した彼は、20数年も劇団を経営する傍ら、 入念な調査を繰り返し、ドラキュラ伯爵を登場させたヒット作『吸血鬼ドラキュラ』を1年半の歳月をかけて生み出すのです。
その後も執筆を続けたストーカーは、『吸血鬼ドラキュラ』から15年後、この世を去りました。
ドラキュラ伯爵は、ひとりのモデルから生まれたのではなく、『吸血鬼カーミラ』や伝承や歴史のほか、生涯を演劇と創作に人生を捧げてきたストーカーの、想像力の集大成が生み出した吸血鬼といえます。
だからこそ現代でも、「吸血鬼といえばドラキュラ伯爵」と言われるほど、確固たる地位を築くキャラクターとなったのでしょう。
本書で紹介している明日使える知識
- 『吸血鬼ドラキュラ』
- ヴラド・ツェペシュ
- ブラム・ストーカー
- ヨーロッパの吸血鬼
- 中東・アフリカの吸血鬼
- etc...
ライターからひとこと
「ドラキュラ伯爵」そのもののモデルについては、「ドラキュラ大将軍」ことヴラド3世よりも、小説『吸血鬼カーミラ』や、その他伝承の影響力が大きいと思われます。また吸血鬼の伝説は、トランシルヴァニア地方に限りません。
本書では、世界の吸血鬼の伝説についても触れていますので、こちらの記事もぜひご覧ください。